如水モータークラブ オーストラリア遠征 趣意書 |
2008年5月24日 |
人間誰にも青春があります。 生きた時代や、住んでいた国が違っても、それぞれに夢を描きます。 今から40年前、私達は一橋大学の自動車部員でした。オーストラリア遠征を夢見て、着々と準備を進めていました。計画を進める一方、山澤逸平専任講師(当時)に指導教官をお願いし、オーストラリアからの留学生も交えてゼミを開いたりして、関心を深めていました。まさに青春真っ盛りでした。 このプランを思い立った背景には、創部間もない1858年から1959年、石原慎太郎隊長以下部員6名がスクーターによる南米遠征を敢行していたことがあります。部員から部員へと語り継がれたことがDNAのように私達にも引き継がれていたのだと思います。 40年前、時代は大きく動いていました。ベトナム戦争末期、全世界で反戦運動が起き、東大紛争・封鎖をはじめとする大学紛争は全国の大学に広がって行きました。時代の波は都心の喧騒から遠く離れた国立の母校も例外ではなく、かなり遅れて始まり、そしてあっけなく終わりました。その中にあって私達の遠征計画も頓挫しました。 1970年、私たち11名のうち1名は大学に残り、他の10名は卒業し就職しました。その後の日本経済は、ニクソンショックやオイルショック、バブル経済の崩壊などの試練はあったものの、その都度切り抜けて今日に至っています。我々もその真っ只中で企業戦士として働いてきました。この間、仲間を2名失いました。悲しいことですが、そのたびに彼らが残った我々を再会させてくれました。 還暦が目の前に近づいた2007年初め、いつもの集まりの時に「そろそろオーストラリアへ行かないか?」という声が上がりました。 当時夢であったものは、もはや今は夢ではありません。 米ドルも360円から100数円となり、海外旅行も当たり前の時代になりました。自動車の性能も格段に進歩し、道路も当時とは比べ物になりません。 オーストラリアを車で縦断する、このことそのものは冒険でも何でもありませんし、何も取り立てて特別なことではありません。 あるとすれば、「果たせなかった青春時代の夢を、再び同じ仲間と一緒に実現する。」ということだと思います。しかも今回は、如水モータークラブ(略称JMC、自動車部OB会)の会長、幹事長そして南米遠征のメンバーだった先輩も加わり、世代を超えたものになります。
40年という年月が経ってしまいしたが、この間皆の気持ちの中に喉にささった小骨のように何か引っ掛かるものがありました。 今やっとその小骨を抜き、青春時代の夢を果たす時が来ました。 否、今こそ青春そのものなのかもしれません。 *************************************************************************************** 「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相(ようそう)を言うのだ。 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。 年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。・・・(以下略)」 |